恩送りの構造と司法改革
法律学の体系書の序文には恩師に対する過剰な謝辞が連ねられていることが珍しくありません。
私は大学3年間の民法を鳩山先生に教えられた。それから今日まで直接にその口から間接にその著述を通じて一日として先生に学ばない日はない。(我妻栄・民法講義Ⅰ)
先生は学者としての生き方を超えて1人の社会人としての生き方を、ある時は懇々と諭され、ある時は身をもって示してくださった。経師は遇い易く人師は遇い難しというが、まことに松尾先生は私にとって人生の師であった。(西田典之・刑法総論)
このように謝辞を連ねる学者の心象風景は何なのか?最近ようやく学問における「師匠と弟子の関係」が少し判ってくるようになりました。師匠の薫陶を受けることは弟子が学問的生命を形成するに当たって不可欠の栄養です。弟子は師の憧れているものに憧れ、師の欲望しているものを欲望する。師から受けたこの恩を自己の弟子に伝えることにより知的生命は受け継がれていくのでしょう。
司法研修所における教育は「古き良き時代」の雰囲気を残していました。60名の生徒に5名の教官、よく考えられた教材、真っ赤に添削された起案。法律実務の生命を次世代に伝えていこうとする真摯な営みがそこにはありました。実務修習も同様でした。全国各地に散らばる実務修習において、修習生は先輩法曹から大変な歓待を受け、司法試験に合格した喜びを再確認し、実務家としての責任の重さを実感し、自分も次世代の法曹を温かく迎える決意を固めました。こういった世代を超えた法律家の生命の伝授は「恩送り」と呼ばれていました(「恩返し」ではないのです)。「恩送り」は司法改革において「ギルド」と揶揄された法律家集団の命の伝達の儀式だったのです。法曹養成制度の改変の中で、こういった「恩送り」の雰囲気は次第に失われてきているようです。