キャラ的人間関係が与える呪術的拘束力
相原博之「キャラ化するニッポン」(講談社現代新書)はこう述べます。
グループ(社会)から「ぼけキャラ」というアイデンティティをもらった若者は嬉々としてひたすらボケをかまし、ボケキャラを全うすることで安堵の日々を送る。それがキャラ化社会の人間関係であり、そこで少しでも「俺の本当のアイデンティティは?」などと考えたら、とたんに奈落の底に落ちてしまう。半ば遊びや冗談に近い形で決められるキャラが、その人間の社会的な拠り所となり、そしてその喪失は居場所、すなわち社会的なアイデンティティの喪失にさえなるという現実が若者たちの前に存在する。今、彼らが執拗なまでにキャラにこだわるのはこういった理由からなのだ。ここでは、もはやキャラは呪縛にさえなっているのである。
「キャラ」とは単なる「配役」ではなく「存在の様式」です。本人が「キャラ」を決定する要素を策出している面も存在します。ぼけキャラになる人は当初そのように皆から「ボケ」として扱われることを望み積極的に演じたこともあると思われます。しかしキャラは人間の持つ諸要素の1つだけを取り出し・増幅させ・定着させるものです。現代社会のキャラ的人間関係の在り方は「疎外」(alienation)という概念に親和性があります。日常用語としてのalienationには「以前は親しかった者との離別」「周りの世界に帰属していないという感覚」という意味があります。哲学ではここから派生して「自分が生み出したものが急によそよそしくなり・逆に自分を拘束し苦しめる状態」との意味で使われます。疎外的な存在様式である「キャラ」は呪術的な拘束性を有しています。キャラを演じることに疲れた人が「自分探しの旅」に出るのかなと想像したりもします。年間3万人を超える自殺者の中にはキャラを巡って悩んだ方も相当数いるのではないでしょうか。