学問的決定と実践的判断
デカルトは次の道徳規則を自分に課しました。(「方法序説」中公クラシックス)
自分の住む家の建て直しを始めるに先だっては、それを壊したり・建築材料や建築家の手配をしたり・自分で建築術を学んだり・注意深く設計図が引いてあったりする、というだけでは十分ではなく、建築にかかっている間も不自由なく住める他の家を用意しなければならない。同様に、理性が私に対して非決定であれと命ずる間も、私の行動においては非決定の状態にとどまるようなことを無くするために、そして既にその時からやはり出来る限り幸福に生きるために、私は暫定的に、ある道徳の規則を自分のために定めた。(略)法律と習慣とに服従し神の恩寵により幼時から教え込まれた宗教をしっかりと持ち続け、他の全てのことでは私が共に生きてゆかねばならぬ人々のうちの最も分別のある人々が、普通に実生活において取っている・最も穏便な・極端からは遠い意見に従って自分を導くこと。実生活の行為はしばしばどんな遅延をも許さないのであるから、どれが最も真なる意見かを見分けることが出来ない時には最も蓋然的な意見に従うべきである。たとえどの意見に多くの蓋然性があるか判らない場合でも、やはりどれかに決めるべきである。そして決めた後では(それが実践に関する限り)もはや疑わしいものとみなすべきではなく、我々にそう決めさせた理由は真で確実であるのだから、それを真で確実なものとみなすべきである。
社会生活上の意思決定は「遅延を許さない」ものです。それは実践的決定であり、学問的決定ではありません。学問的理性が「非決定であれ」と命ずる問題であっても実務家は非決定の状態に留まることが出来ません。法律家の判断は理論理性がもたらすものではなく実践理性がもたらすものです。法的判断の神髄は、最も分別ある人々が普通の実生活において取っている・最も穏便な・極端からは遠い意見(蓋然的な意見)に従って限られた時間内に「どれかに決める」ところにあるのです。