世間との距離感・和而不同
小学生の時、担任の先生から「大きくなったら何になりたいか」という課題で作文を書かされたことがありました。私は「仙人になりたい」と書きました。自分なりに真剣に書いたのですが、先生から「真面目に書け」と怒られてしまいました。高校生の頃、何かの寄せ書きで一筆書くことを求められた際、正直に「悟りを開く」と書いたところ(おちゃらけた周囲の書き込みの中で)完全に浮いてしまいました。「自分が真に興味を持っているものを書くのではなく、その場の空気にあわせて書くのが無難なのだ」という小賢しい知恵の必要性を感じたのでありました。大学生の頃は(仙人のような)「学者になりたい」と願っていました。大学院に進学して留学することも真剣に夢見ていました。でも直ぐに自分の能力不足に気づき挫折してしまいました。司法試験受験を始めて間もない頃、既に就職していた友人が寮に遊びに来てくれました。忙しく仕事をしていた彼は「こんなに慌ただしい毎日を送っていると高等遊民をしているお前が羨ましくなる」と言いました。別の友人からは「仕事に疲れたら寮に遊びに来るから世間離れした高尚な話を聴かせてくれ」と言われました。この頃の私は確かに精神的意味での<高等遊民>だったのでしょうね。
私は子供の頃から「世間と距離を置いて暮らしたい・仙人になりたい」という漠然とした憧れを持っていたように思います。「世間は安易に依拠すべきものではない」との感覚が私から消えることは(多分)死ぬまで無いでしょう。しかし「周りの人々と調和的に生きてゆくことが大切である」という感覚の重要性も(多少は齢を重ねましたので)それなりに理解しています。世間と少し距離を置きつつ世間と折り合いをつけるために(08/4/16・5者17参照)私は「和而不同」(和して同ぜず)という言葉の意味を考え続けていきたいと思っています。