5者のコラム 「学者」Vol.80

権力社会・文化社会・法化社会

一橋大学の王雲海教授は如水会会報(2014・2月号)でこう述べます。

中国は「権力社会」で、秩序の創出と維持が主に社会の少数者である権力者だけによって行われ常に人手不足の問題に直面する。そのために国家・権力にとって大事な部分だけを「犯罪」にして必要以上の刑罰を課し、その波及効果をもって秩序の創出と維持を図るような「狭くて重い」刑事政策を採る。日本は「文化社会」で国民の多数が身近な文化(習慣や道徳)として秩序の創出と維持に努め、法律はそのような文化の確認・補強をするだけである。そのために文化上非道徳的であれば法律上も「犯罪」とされ「犯罪」が広くなる。他方、罪を犯したからと言っても同じ国民であるので義理人情を超越するほどの厳罰は課せず、刑罰を浅くし、罰を民間・文化に任せる。米国は「法律社会」で、その法律の魂が市場経済の自由競争のルールの創出と維持にあるので、市場経済にかかわる経済犯罪と市場の担い手たる人間の人身の自由を害する犯罪に対して資本主義の根幹を脅かす犯罪として厳罰に処するが、それ以外の犯罪にはそうしない、という「二分化」パターンが出来たのである。

司法改革において日本を「法律社会」に変えるとの主張がなされました。が司法改革により創設された法制度とその運用は文化社会だった日本を「権力社会」に変えるように私には感じられます。遠くない将来に日本の貧富の差はさらに激しくなり極少数の者が富を独占するようになるでしょう。身近な文化(習慣や道徳)は急速に廃れてゆき、それを補完するため、領土問題に象徴されるナショナリズム(プロパガンダ)が叫ばれるようになるでしょう。刑事司法においても市民に身近な犯罪は放置されるようになり、他方で官僚にとって都合の悪い情報の公開を犯罪に仕立てて厳罰を課する動き(二分化パターン)が大きくなっていくのでしょうか。

役者

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