教育とは修行である
8月31日とは宿題を終わらせる日のことであった。「夏休みの友」は天気を調べてテキトーに書きなぐった。何故無意味な宿題を出すのか?教師に聞いてみたが、教師は「馬鹿たれ」といって答えなかった。教師も意味など考えていなかったのであろう。(FBへの投稿)
A 8月31日に夏休みの宿題について触れた。何故こんな無意味なことをさせるのかという質問に対し教師が「馬鹿たれ」と言って質問に答えなかったことを述べた。この投稿に40人もの方々が「いいね」されている。皆様は上記教師の言動につき私が批判的見解を持っているように思われたかもしれないが私はそう思っていない。教育には「問答無用」的な側面が必要だと持っているからである。教育とは修行である。修行は世界のルールを叩き込む面がある。司法試験改革報道において私が違和感を感じたのは法曹界のルールを覚える修行に関して、部外者であるマスコミが異を唱え、修行を否定する進歩的教育論者のように振舞ったからである(内田樹「修行論」光文社新書)。
B 修行か…。研修所に入るときは他の資格登録も全部消してこい,休職もダメ。要するに出家してこいですから。「それまでのものを捨て去れる人だけが来い」と。まさに教団ですな。もと居たところに戻ることを考えない時代はそれでよかったのだと思いますが。ただ他の省庁からのスライドによる公務員歴の維持だけは優遇されていたのがなんともでした。
A 「法曹」とは「法僧」のことだと私は思っています。師匠から弟子に「秘伝」が口授で受け継がれていく側面があると考えます。湯島の研修所にはその香りが残っていました。マスコミはこれを「ギルド」として批判しましたが、実務法曹の意義を理解しない馬鹿たれです。