弱者ベースの制度から市場原理への転換
内田樹先生はブログでこう述べておられます。
国民国家解体の動きはもうだいぶ前から始まっていました。 医療・教育・行政・司法に対する「改革」の動きがそれです。これらの制度は「国民の生身の生活を守る」ためのものです。(略)ですから、これらの制度は「弱者ベース」で設計されています。当然それで「儲かる」ということは本質的にあり得ません。(略)でもこの20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄づかい」で「非効率的だ」と誹るものでした。できるだけ民営化してそれで金が儲かるシステムに設計し直せという要求がなされました。その要求に応えられない制度は「市場のニーズ」がないのであるから淘汰されるべきだ、と。社会制度の適否の判断は「市場に委ねるべきだ」というこの考え方には政治家も財界人もメディアも賛同しました。
「司法改革」は<司法の市場化>の文脈で推進されてきました。しかし司法には市場原理で図りきれない存在意義があります。司法の存在理由を皆で考えなければなりません。このままでは「弱者ベース」に立つ司法は消滅し強者に仕える司法しか残らないことになります。社会的弱者たちを守ってきた「ローカルな障壁」を突き崩し全てを「市場」に委ねようとするアメリカ由来の動き。その結果、医療がまず危機に陥り、続いて教育が崩れ、司法も不可逆的な劣化過程に入ったと内田教授は指摘されています。大規模な社会制度の再編を通じて「健常者のための医療・強者のための教育・権力者に仕えるための司法」が際立ち始めています。驚くべきことは「勝ったものが総取りする」ルールに、それによって収奪される弱者たちこそが賛同しているように見えることです(涙)。