社会性の哲学
今村仁司先生(1942/2/26~2007/5/5)は私が学生時代に敬愛した哲学者。一橋大学3年生の時に「社会思想史特問」講義を受けただけだが、講義終了後に追いかけ30分ほど話をさせて頂いたことは生涯の記憶だ。その会話をきっかけに私は東経大で開かれていた先生のゼミに参加させていただくことになり(先生は東京経済大学教授)哲学の議論にも加わった。不思議な時間と空間だった。
今村先生は遺著となった「社会性の哲学」(岩波書店)の中でこう記されている。
とくにアルチュセールやフーコーあるいはデリダとの共感的格闘のなかで得た印象であるが、これら現代フランスの俊秀たちの研究には「社会性」あるいは「政治共同体」の原理的研究(あえて言えば「存在論的」研究)が欠如していることに私は不満を感じるようになった。伝統を破壊することに異論はないが、伝統の中から削除することのできない哲学の重要な道具を軽視することは許されることではない。こうして私はフランスの思想家たちの書物を読み続けながらも、彼らとはある程度まで決別して、自分なりの「社会の存在論」を構築することに向かって1人旅をすることになった。かつて、ヘーゲルを除けば、労働と暴力(闘争と労働)あるいは経済と政治について、存在論的にも人間学的にも、つきつめて体系的に展開することを誰もしたことがない。こうして、再び私は学生時代のへーゲリアンの立場に戻ろうと覚悟を決めたのである。だから本書はヘーゲルの引用文が、原理的考察のときには何度でも登場し、本書の記述を支えてくれているのである。
上記記述は深い感銘を受けるものだった。何故なら私は(レベルは低いけど)フランス現代思想に憧れつつ、付き合っていく力量のなさに絶望し・挫折し・その後、実務法曹として仕事を続ける中で(労働と暴力・経済と政治に・抽象的にではなく「具体的に」接する中で)多少「社会性」や「政治共同体」を考察せざるを得ない立場になっていたからである。他方、NHKテキスト「100分で名著:精神現象学」(@斎藤幸平)などを拝見し、改めてヘーゲルという哲学者の「視野の広さと深さ」に感銘を受けてもいた(弁証法と承認・疎外と教養・啓蒙と信仰・告白と赦し)。
今村先生が亡くなられた後で出版された「社会性の哲学」は次の構成をなす。第一部:社会性の原理、第二部:1政治(政治的なもの・権力と権威・支配の様式・普遍的共同体)2経済(経済の概念・贈与の経済・贈与の社会的論理・交換)3法(自由欲望法・私的第三者と公正の理念・法の原初場面・法の絶対体制)。私はこの本を通読していない。馴染めない用語が頻出するので容易に論筋を掴むことが出来ない。しかし恩師が最後に残された遺稿である。自分が歳を重ねながら体感してきた「政治・経済・法」に対する具体的な言及もあり、自分にとってはテーマ的にむしろ馴染みやすい。少しずつでも読み進め、今村先生の著作が長く命を保つことにお役に立ちたい。私はへーゲリアンだったことは一度も無いし事後も自分から「ヘーゲルを理解しよう」などとは全く思わなかった。むこうのほうからこっちに寄り添ってきた感じだ。裏を返せば「自分が歳をとった」ということなのだ。