久留米版徒然草 Vol.156
カリスマ政治家の死去
1598年9月18日(慶長3年8月18日)は「日本史上最大の権力者」である豊臣秀吉が伏見城で亡くなった日である。遺骸は遺命によって京都鳥辺野の阿弥陀ヶ峰に葬られた。山麓に壮麗な豊国社殿が建立された。慶長4年4月遷宮式が行われ後陽成天皇から豊国大明神の神号を賜り毎年盛大な祭礼が執り行われた。特に七回忌にあたる慶長9(1604)年の豊国祭は盛大だったという。大阪の豊臣家は家運衰退を挽回したいと考え、伏見の家康は秀吉の人徳を称えることで人心を集めようと考え、京の町衆は日頃の不満を爆発させたのだとされている。現在の豊国神社(旧方広寺)宝物殿に慶長9年の豊国祭を表現した秀麗な絵が残されている。豊国祭の祭礼が<如何に大規模に・華やかに行われたか>が判る。死してこれだけの影響力を世に与えるとは!豊臣秀吉恐るべし。