ルーテル教会4
第6回久留米まち旅博覧会のパンフレットは企画№37を次のように紹介しています。
久留米の街なかに響くパイプオルガンの調べ」(2011/10/30)
久留米市日吉町のビルの中に佇む赤煉瓦づくりの教会「日本福音ルーテル久留米教会」は1918年にミッション建築で有名なウイリアム・メレル・ヴォーリスの設計により建てられた久留米で最も古い教会です。「ここのパイプオルガンでバッハを聴きたい。」そんなまち旅フリークの声にお応えする特別なひととき。ドイツで設計されたパイプオルガンの音色とともに楽しむのは、同じくドイツ仕込みの、創業大正4年という久留米の老舗「松尾ハム製造所」の生ハムとワイン。秋の一日を、街なかで楽しみませんか?
上記文章に言う「まち旅フリーク」とは何を隠そう私のことです。
昨年春、私は久留米のカトリック教会(信愛女学院・久留米教会)と大刀洗今村教会を巡る企画に参加しました。パイプオルガンによる演奏を聴くことができて、とても豊かな気持ちになりました。今村教会からの帰りのバスで偶然に隣に座ったのが運営委員hamaさん。「良い企画でした」と労いの言葉をかけ、その場の思いつきで私はhamaさんに熱弁しました「次はルーテル教会でやってください。あの建物は有名な建築家が設計した素晴らしいものですし中に立派なパイプオルガンがあります。あのオルガンでバッハをプロの方に弾いていただけたら何て素晴らしいだろう。」深く考えることもなくその場の思いつきで話をしたのです。半年が経過し、秋の公式ガイドブックをいただいて、冒頭の文章を目にした時に私は感動しました「ああ、こんなことがあるんだ」。私の思いつき発言を企画会議に取り次いでくれたhamaさんとこれを形にしてくれた実施者「くるめスタイル」に感謝の気持ちで一杯でした。私は訟廷日誌10月30日の頁に「ルーテル教会」と書き込みました。
10月30日、雨の中、52名もの方々が集まりました。主催者「くるめスタイル」筒井さんと「ルーテル久留米教会」水原牧師から挨拶がありました。オルガニストは松波久美子さん。ドイツ留学を経て日本福音ルーテル宮崎教会の音楽監督を勤めておられます。使用されるパイプオルガンはドイツ製で、ある女性から寄贈されたもの。実名を出すのが憚られるので仮にAさんとしましょう。Aさんはある著名な方の娘さんです。相当な地位を極められた方ですが悲劇的最期を遂げられます。Aさんはその実娘として辛い立場に置かれます。そのAさんを救ったのがキリスト教の信仰でした。
Aさんは「80年史」で次のように述べています。
ときどき私は厚かましいのですけれど『自分は一番神様に愛されているのではなかろうか』などと思い、つい『天のお父様ありがとうございます』と口にし感涙することがあります。『罪のますところに恵みやいやまさる』の聖句がひしひしと身に迫ります。老境に入りますと神様への信頼、兄弟姉妹への感謝も深くなり、わずかの奉仕も神様にさせていただいていると思いますので、感謝と幸せを感じます。
細川ガラシャの如き人生を送られたAさんは60年にも及ぶ久留米ルーテル教会での信仰に感謝し、高額な費用を負担してこのパイプオルガンを寄贈されたのです。
松波久美子さんが演奏された曲目は以下のとおりです。①「フーガ」ト短調②「主よ人の望みの喜びよ」③「我らより神の怒りを除きたまいし我らの救い主」④「アリア」管弦楽組曲ニ長調⑤「装いせよ、おお我が魂よ」⑥「前奏曲とフーガ」ロ短調
演奏途中、雷の影響で停電するハプニングがありました。しかし松波さんは動じることなく演奏を続けます。暗闇の中を奏でるパイプオルガンの音色はかえって荘厳さを増したようです。暗闇の中を皆が食い入るような姿で演奏を聴いています。私の後方では高齢の女性のすすり泣くような声が聞こえました。予定された曲目演奏終了後、聴取の割れんばかりの拍手に答えて、アンコール曲が演奏されました。ゆっくりとした速度による「メヌエット」。ピアノによる演奏を聞くことが多いこの曲を私は初めてパイプオルガンで聞くことが出来ました。演奏会は感動の内に終了しました。
演奏会の終了後、日善幼稚園に場所を移動しての懇親会。雨のため通常は幼稚園児で溢れる教室を借りて行われました。松尾ハム(「ドイツ兵俘虜収容所2」参照)でつくられた生ハムを含むオードブルは老舗イタリア料理店「サリーチェ」の手によるものです。
懇親会の終了後、松波さんと水原牧師にご挨拶をして私は教会を出ました。古い礼拝堂を見上げました。本来、教会は人が集まる(べき)ところなのですが、当該宗派以外の市民には近寄りがたい雰囲気があります。水原牧師の挨拶によると久留米ルーテル教会でこのように宗派を超えて市民が集まる機会が設けられたのは初めてのことだそうです。 沢山の方々に集まっていただき、私はヴォーリスが設計した94歳のお爺ちゃん建物がとても喜んでいるように感じました。楽器だって時には弾いてあげないとすねます。遠くドイツから運ばれてきたパイプオルガンも多くの方々に聞いて貰い喜んでいるように感じました。このパイプオルガンを寄贈されたAさんも・この教会で信仰を深められた坪池先生も・木下勇さんも・皆が天国からこの企画を喜んでくれたのではないか?と私は感じました。バスの中の、その場の思いつきで提案した、私の夢のアイデアに過ぎなかったのですが、筒井さんの見事なプロデュースにより素晴らしい演奏者を得て本当に立派な形にしていただきました。久留米の街にほんの少しだけ恩返しが出来たような、そんな幸福な気持ちになることが出来た、秋の1日でした。(終)