歴史散歩 Vol.1

久留米の法曹ゾーン

平成18年秋、福岡地裁久留米支部付近に新しい法曹ゾーンが出現しました。裁判所を中心にして左側(北)に新しい検察庁拘置所が、右側(南)に新しい筑後弁護士会館が誇らしげに建っています。「筑後の歴史散歩」はこの法曹ゾーンから歩き始めることにしましょう。
 
 法曹ゾーンは久留米城外郭(そとぐるわ)東南にあります。日本の裁判所は江戸時代の城の一角にあることが多いのですが久留米も例外ではありません。江戸初期はこの付近に刑場が存在しました。町域拡大に伴い津福に移転しています(「江戸時代における筑後の刑場」参照)。天保時代の地図によると、この場所に武家屋敷がありました。主は初代藩主有馬豊氏(とようじ)が丹波福知山から入国した際、同行した家老有馬重頼の家系です(古賀幸雄「ふるさと歴史漫録」76頁)。東大総長・文部大臣になった有馬朗人氏はその子孫です。

 裁判所敷地は明治35年久留米市地図でも裁判所とされています。当時は久留米城の堀が残っていました。東側外堀の斜めのラインが印象的です(最東端の堀跡と石垣は今も存在します)。
 裁判所の裏側に近年まで「小鳥の森」と称される樹木が茂る場所がありました(現在は病院の駐車場です)。北に接して赤松合名会社が存在するのが判ります。これは旧士族の為の授産事業で久留米の特産品(絣・和傘・らんたい漆器等)を製造販売する会社でした。

裁判所庁舎は昭和45年に建て替えられたもの。以前は純日本風の建物でした。松本市の司法博物館(旧松本区裁判所)に似ています。この写真は昭和44年撮影で裁判所建て替え直前の様子を表しています(奥の検察庁・拘置所は竣工して間がない)。竣工から相当時間が経過した裁判所ですが、耐震基準をクリアするための鉄骨が入れられて現在も使用されています。正面外観上は左右対称ですけど内部は非対称(法廷棟は3階建・事務棟は4階建)です。両者を繋ぐ階段が若干不便。

上記古地図には「検察庁」なる表記はありません。取り壊し前の拘置所の一角に「司法省」という文字が刻まれた境界標がありました(現在は玄関前の植込みに存在)。

 戦前の司法制度を規定した裁判所構成法において「裁判所及検事局」は同じ組織として規定されました(兼子・竹下「裁判法(第4版)有斐閣54頁)。検事局と裁判所は設備も会計も共同で検事も判事同様「司法官」と総称されました。このゆえ検察庁という表記がないのです。司法行政権が最高裁に帰属し「検察庁」が独立の官庁となったのは戦後改革(昭和22年)によるものです。現在の検察庁は平成18年10月に竣工。検察庁拘置所一体型の5階建になっています。

旧弁護士会館は昭和11年5月2日に落成しました。場所は裁判所敷地内の正面向かって左側、現在の検察庁手前の駐車場辺りでした。司法大臣の認可を得て1700円余りで建てられました。しかし、昭和45年11月の裁判所建て替えの際に取り壊され、以後久留米の弁護士会は裁判所の中の1室を長年にわたり間借りする状態が続いていました(なお昭和45年11月25日三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で決起を呼びかけて失敗し自刃しています)。平成4年、裁判所の隣接地に商業ビルが出来たため筑後部会はこの1室を購入し部会活動の拠点とし常設の法律相談センターも開設しました。平成18年に現会館が竣工するまで、この1室で弁護士会活動が継続されました。


 筑後弁護士会館は平成18年7月に竣工。場所は久留米城外郭の最南部で、堀をはさんだ向こう側(現在の「スシロー」前)が「札の辻」でした。そこから南に向かって主要道路・柳川往還が発していたのです。弁護士会館の敷地は天保時代は山本氏の屋敷とされています。城内に住んでいたのですから格式のある武士だったと思われます。昭和初期の地図では警察の尚和寮と表記されており、戦後は県の所有地として警察の官舎がたっていました。福岡県弁護士会筑後部会はこの県有地を近隣市町村の多大のご協力により入手し待望の会館を持つことが出来るようになったのです。

* 新人に福岡県弁護士会の成り立ちをレクチャーしたときに作成した備忘録。福岡県は明治初年に豊前・筑前・筑後という風土の違う「国」を一体化し形成された県だ。県内の人の気質の違いには際だったものがある。別の国であった豊前の筑前に対する対抗意識は未だ凄まじい。筑前と筑後の違いも著しい。福岡県立美術館「イメージの風土学 ”川”の筑後と”海”の筑前」の図録で丸山豊は「2つの国の地理的な隔たりはわずかであるが天候にも・気質にも・方言にもはっきりとした違いがある。」と述べる。戦前の福岡県には小倉・福岡・飯塚・久留米の各弁護士会が独立して存在し固有の活動を行ってきた。戦後、新弁護士法の下で福岡県弁護士会として一体化したが、独立会であった頃の気質は根強く存続している。これを基礎に成り立っているのが「部会」なのである。

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