「病い」「疾患」「病気」
岩瀬純一氏は「司法臨床へのまなざし」(日本加除出版)でこう述べています。
彼(アーサー・クライマン)によれば、病い(illness)とは身体的な過程をモニターし続ける生きた経験であり、疾患(disease)とは治療者が病を障害の理論に特有の表現で作り直す際に生み出されるもの、つまり治療者が専門的な問題として構成し治した患者や家族の病の問題であるという。また病気(sickness)とはある母集団全体にわたって当てはまるという包括的意味において障害を理解することであるという。例えば急に発熱して体の節々が痛く全身がだるくてとても起き上がれないという状態の経験が「病い」であり、身体を診察した医師によってインフルエンザであると診断された病が「疾患」であり、ウイルスのタイプや地域的流行等と関連づけて説明されるときのインフルエンザが「病気」なのである。
「病い」は主観的アプローチ・「疾患」は客観的アプローチ・「病気」は統計学的アプローチと言えるでしょう。言語論的に1次的現実・2次的現実・3次的現実と表現することも出来ます。以上の前提の下、岩瀬氏は家事紛争を次のように描写しています。
当事者にとって、夫婦間や親子間の葛藤はまさに<生きた経験>であり、家庭裁判所で受け付け編成された事件記録は当事者の生きた経験を家庭裁判所の枠組みで作り直した<紛争の記録>であり、さらにまた、夫婦関係調整調停事件とか親権者変更あるいは子の監護に関する処分事件といった事件種別は我々の社会において包括的意味合いで当事者の問題を把握するための<分類枠組み>と言えるかと思う。
「生きた経験」(1次的現実)は弁護士により「紛争の記録」(2次的現実)に翻訳され裁判所に伝えられます。裁判所はこれを「事件種別」で分類し(3次的現実)捌いていきます。司法臨床に携わる者はこれらの違いを認識して仕事しなければなりません。