「安全保障観」を得る際の型
精神科医バリントは人間が「安全保障感」を得る際の型として次の2つがあると指摘しているそうです(中井久夫「精神科医がものを書くとき」筑摩書房)。
1 安全保障感を距離(遠さ)に依存するもの(フィロバット・甘えの拒否)対象無き抽象的空間と己のスキルに全幅の信頼を置く者。スリルを好む。対象は己の技量を 発揮するための道具であり、取り替えのきくものである。
2 安全保障感を膚接(近さ)に依存するもの(オクノフィル・甘えの形態)対象無き空間を恐怖し己のスキルに信頼を置かない者。スリルは嫌い。取り替えのきかない具体的な対象にしがみつき、膚で接していることを好む。
かかる前提の上で中井先生は「自分はかなりオクノフィルだ」と言明しておられます。一般的抽象的な言明をしようとすると、袖を引いて止めるような感覚があるというのです。「具体的なものを対象としないときには自分の中で引っ込み思案が生じる」とも言明されています。
私は学生時代「フィロバット」気質を持っていました。一般的抽象的思弁を好み安全保障感を他者との距離感に依存するタイプでした。自分の中に踏み込んでくる人には拒否反応を示すことがありました。未熟ながら己のスキルに自信を持っていました。飛躍とスリルを好んでいました。「フィロバット」の特徴である乾いた感覚が過剰であったのです。この頃の私はビョーキ(脱水症状)だったのでしょう。この仕事をやるようになり私には「オクノフィル」的気質が芽生えてきました。弁護士業務は依頼者に膚で接する感覚を要求するからです。自分に出来る範囲が良く判りました。私は弁護士の仕事をすることによって「心の湿度」を回復させてもらったのです。