1人事務所は絶滅危惧種か
私は法律コラム「危機に立つアメリカの弁護士」で吉川精一弁護士執筆にかかる次の趣旨の論考を紹介しました(自由と正義2016年10月号)。
現在アメリカの弁護士は二極化・階層化が進んでおり内部での同質性・一体性が失われつつある。大企業を顧客とする大事務所と小企業および個人を顧客とする中小事務所の間の二極化が進行し町弁護士は衰退した。大事務所内部でも階層化格差が進行している。その結果、弁護士のプロレタリア化を生み出している。大事務所の勤務弁護士は官僚的大組織の歯車として処理する案件の全体像が見えないまま細切れの既製商品的な仕事を処理している。
弁護士はアメリカで「プロフェッション」と呼ばれてきました。プロフェッションとは「公益に奉仕する精神の下に共通の天職として学問的技芸を追及すること」であり、それが生活の手段となることはあっても公益を第一義とするものでした。そこで意識された「生活」とは慎ましいものであり「司法を神として仰ぐ」イメージが与えれていました。プロフェッションの代表格である医師や牧師と同じ位置付だったのです。しかし21世紀に入って(アメリカのみならず)日本でも弁護士の商業化は進行しており、業界の2極分化や階層化が顕著になってきつつあります。日本では(アメリカと違い)弁護士会は強制加入団体ですけど内部の一体性は(昔とは比較にならないくらい)失われつつあります。かつて日本社会は厚い中間層を特徴としていました。「一億総中流社会」という言い方もマスコミを中心に流布していました。しかし、バブル崩壊後、社会全体が富裕層と貧困層に2極化しています。同様に弁護士業界も大企業を顧客とする大規模事務所と個人を顧客とする零細事務所との間の2極化が進行しています。私のような1人事務所は「絶滅危惧種」なんでしょうか?