非合理な心的現象と付き合う
田中仁彦「デカルトの旅/デカルトの夢」(岩波現代文庫)によると近代合理主義哲学の祖デカルトは自分が観た夢の内容で自分が進むべき道を決めました。
デカルトは1619年にドナウ河畔の宿のベッドの中で3つの夢を見ました。1つ目の夢は彼自身が大嵐にあい礼拝堂に吹き付けられるというもの・2つ目の夢は部屋が花火のようなもので満たされているというもの・3つ目の夢は字引と詩集が登場するものです。特に第3の夢が重要であり詩集には「ワレ イカナル人生ノ道ヲ 歩ムベキカ」という詩冒頭の1句が読めました。驚くべきはデカルトが眠ったままで上記3つの夢の解釈を始め、覚醒してからも夢の解釈を続けることです。彼が「一生を学問に捧げる決意」を固めるのはこの夢の解釈によってなのです。
このコラムの読者の中には「近代合理主義の権化」ともいえるデカルトが(一見すると非合理的な現象である)夢によって自分の学問的思索を開始したことに違和感を感じる方もいるのではと思われます。しかし当時(おそらく現代も)夢という不思議な現象は「現実」でした。強いて言えば「心の現実」でした。フロイトやユングを持ち出すまでもなく、夢は自分の内面と外界を繋ぐ重要な解釈対象だったのです。当時「一生を学問に捧げる」ことの意味は現代とは全く違っていました。それは「生命の危険」を伴うことでした。にもかかわらず、デカルトが「イカナル人生ノ道ヲ歩ムベキカ」を決定させるほどに<夢の力>は大きいものだったのですね。一流の学者や芸術家ほど夢の解釈に熱心です。彼らは自分がみた夢の再現と解釈を創造性の源泉と位置づけているように感じられます。夢は非合理な心的現象ですが、その中から新たな現実が生まれるのです。同様に弁護士は依頼者との交流のなかで非合理な心的現象に悩まされます。大変ですが、これを忌避せずに向き合うことにより望ましい「新たな現実」が生まれるのではと私は感じています。