陪審と裁判員
ピーター・アーリンダー氏の講演内容。
アメリカの特徴は当事者主義であり当事者主義の構造のなかで陪審制が導入されている。裁判官はレフェリーであって陪審とは独立している。両チームが戦っているときに積極的な役割をはたすのではなく、両チームがルールどおりにやっているか否かを監視するのが役割。陪審制度では12人の人たちが判断するのであって彼らが主役。裁判官はお互いのチームが反則を犯しているかどうかを判定する。陪審はゲームに参加するのではなくサッカーボールがネットに入ったか否かを判断する。裁判が終われば別室で評議するが評議は誰にも分からない。陪審の評議には誰も何も言えない。当事者主義の中で陪審は裁判官・検察官・弁護人から独立して判定するところに真髄がある。裁判官はレフェリーの役割である。情報を開示しあうのは弁護側と検察側である。弁護側にどのような証人、どのような証拠がでるのかを知らせなければならない。それを聞いて裁判官がどのくらいかかるのかを決めることになる。(略)陪審裁判は予測不可能であることが力になる。全関与者にとってそうであるからである。 陪審裁判の予測不可能性が裁判官や検察官にとって圧力になる。アメリカでも陪審員の都合を尊重して期間を見積もることはある。しかし全員が予測不可能であることを理解している。
陪審はゲームに参加しません。ボールがネットに入ったか否かを判断するだけです。この判断に裁判官は関与しません。これに対し日本の裁判員はゲームに参加します。他方で裁判官もサッカーボールがネットに入ったか否かを判断します。裁判員には「裁判官から独立した立場」が与えられていないので両者の役割分担が不明確です。裁判所は公判前整理手続において期日が「予測可能」となるよう主張を制限することに躍起になっているようです。そのため裁判が「公判前整理手続の上塗り」(予定調和)に過ぎなくなっているように感じます。