5者のコラム 「5者」Vol.99

開かれた社会・大人の思考

目先のリスクを怖がると、かえって巨大なリスクを呼び込んでしまう。ストレスは本人にとり激しい苦痛だが、ストレスを乗り越えるところに事後の成長のための秘密が隠されている。大人には中長期的・複眼的な思考が不可欠だ。最近の社会風潮を拝見していると「目前のリスクをいかにして撲滅するか」ばかりに意識が向かっているように感じられる。が、ビョ-キをあまりに嫌い過ぎるとかえって酷いビョ-キになることもあり得る。長期的にみたリスクを最小限にするためにビョ-キに対する寛容の心を育てることが重要だ。(医者93・15/12/16)
 刑事弁護に置き換えればこうなります。無罪を推定し被告人の反論・反証を許容することは検察官側にとってリスク要因ではありましょう。しかし、この短期的リスクをとる(これを上回る主張立証責任を検察官に課する)ことにより長期的に健全な刑事司法が維持されるのです。このリスクをとらない刑事裁判は魔女裁判に堕することになります。国家全体に置き換えればこうなります。個人の人権(特に精神的自由権)を主張することは国家社会にとって攪乱(リスク)要因です。しかし、リスクを許容できる「開かれた社会」こそが「長期的に見てリスクが少ない」健全な国家社会になり得るのです。かかるリスクを許容しない全体主義国家は(自由人にとっては)地獄です。私はそんな国に住みたくありません。最近の社会風潮を拝見していると、「治安」や「国家社会に対する目前のリスク」を撲滅することばかりに意識が向い、偏狭的バッシングが増加していると感じられます。しかしビョ-キを嫌い過ぎるとかえって酷いビョ-キになることもあり得ます。短期的に国家社会に対する攪乱要因となり得ることであっても、中長期的・複眼的な観点にもとづき人権を最大限に尊重する「開かれた社会・大人の思考」こそが健康な国家社会のために不可欠なのです。