選択肢を与えること
佐藤六龍氏はこう述べます(「『占い』は信じるな」講談社+α新書)。
間違っても占ってもらった結果が絶対だなどと考えないことが大切です。占い結果が「右へ行け」と出ても左へ行っていいのです。もちろん右へ行ってもかまいませんが最終判断は自分が下すのだということを忘れないことです。それでは高い見料を払った甲斐がないではないかと反論があるかもしれませんが、自分では思いもしない選択肢を与えられたというところに意味があるのです。(略)占い師はあくまで人生のアドバイスをしてくれる「私的コンサルタント」というつもりで接することが重要です。
弁護士に法的見解を聞きに行くことは自分の生活世界の出来事を広い世界から見ればどう評価されるのかを知るところに意義があります。人間が有している生活世界は狭いモノです。通常は自分の生活世界の中だけの規範で決定を下そうとする。小さい問題であればそれで良いのですが人生の一大事の場合には「自分では思いもしない選択肢」を考える必要もあります。大きい問題に関しては昔から蓄積された人類の智恵があり、かかる智恵の結晶として法律は作られているからです。
人生は二者択一の連続。私たちはいつもAかBかの決断を迫られています。そういうときにまっとうな理論体系と経験から導き出された占いで結論を出すということは歴史の叡智をもらうことです。しかし、この結果でさえいくつかある選択肢のひとつとしてとらえていいのです。占いは今までの自分にとらわれていたのでは到底出てこないであろうものを見せてくれるものという考えの上で認める認めないは自分だという考え方を持つことです。
緻密な理論体系と経験から導き出された法規範を参考にして人生の結論を出すことは歴史の叡智をもらうことです。ただし、その解釈には弁護士によって微妙な違いがあります。ですから、その弁護士のアドバイスも「いくつかある選択肢のひとつ」としてとらえるのが良いのです。