5者のコラム 「役者」Vol.41

古代ギリシャ悲劇の構成

島田雅彦「100分で名著:ソポクレス・オイデイプス王」に次の記述があります。

吟遊詩人の1人語りによって伝えられる英雄叙事詩から複数人が登場する対話劇の形式へ。身体を持った役者を使い対話の中で物語を観客たちに伝えていく。ここにギリシャ悲劇のひとつの発明があるのです。舞台では劇中で対話する主要登場人物とは別に「コロス」という役目を持った人たちも配置されています。コロスはいまの感覚でいうエキストラ、オペラでいうところのコーラスです。彼らは主要登場人物がおりなす本質に対して一歩退いたところからそれを客観的に批評するまなざしを持っています。
 「オイデイプス王」の場合、コロスはテバイの過去を知る長老など、悲劇の傍観者の役割を担っています。彼らはどこか同情の目でオイデイプスとその家族たちに降りかかる災厄を見つめます。「当事者でなくてよかった」という思いを抱きながら。

弁護士が受任する事件は悲劇の色彩を帯びています。法廷は1人語りではなく複数人が登場する対話劇ですから弁護士は自分の立ち位置を良く認識する必要があります。この仕事をそれなりに長くやっていると自分が当事者になったような感覚で熱く語る相手方代理人にも出くわします。私にはとても違和感があります。弁護士は当事者ではない。弁護士は依頼者たる当事者から伺った悲劇を(脚本家的に構成して)観客たる裁判官に提示するのが役割です。舞台上に出れば主役ではなくコロスに近い。一歩退いたところから客観的に批評するまなざしを維持すべきです。その役割分担が果たされてこそ弁護士は裁判官に対し依頼者の悲しみをより効果的に伝えることが出来るのです。
 

5者

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