花のある役者の存在意義
永六輔「役者その世界」(岩波現代文庫)は瀬戸内晴海の次の言葉を引用します。
本当の役者というのはねェせりふ廻しがうまいとか所作がいいというものじゃないんだよ。舞台にその役者が立つと、ぱっと舞台の灯がきらめきを増す。そしてお客はこの世を忘れ、われを忘れて、ある一瞬、役者の美しさに、うっとりと浄土を見る。そんな瞬間をお客様に与えることの出来ない者は役者なんて口はばったいことは言えやしないやね。
優れた役者さんには舞台の上で光輝くものがあります。世阿弥はこういう役者特有の存在価値を「花」と表現し役者の生命そのものと位置づけました(風姿花伝)。弁護士も大なり小なり「花」の有無が問題となります。優れた弁護士は困難な事案をその特有の存在価値で見事に解決に導くことがあります。特に事件に着手した初期段階において立てる弁護士の方針如何によって、解決に要する時間や内容が全く変わってしまうことは少なからず見受けられます。優れた弁護士は、ヘタな弁護士ならば訴訟を提起して長期化するような事案を、話し合いにより短時間に解決に導くことがあります。ただ、対立する当事者から依頼を受ける弁護士の場合は相性が大きく影響します。互いの小さな「花」が共感しあって見事な解決を導くこともあれば、互いの大きな「花」が傷つけあって紛争が泥沼化することもあります。その意味で弁護士の「花」は相対的なものかもしれません。弁護士と依頼者の関係が相性により全く変わってしまうのと同様、弁護士同士の関係も相性により異なるのです。弁護士は自分の依頼者を(受任するかしないかという形で)選択することは出来ても、相手方代理人を選択することは出来ません。与えられた条件でやっていくしかないのです。が、弁護士経験の長い方の中には大輪の「花」を咲かせて多くの場面で多くの相手方代理人と上手に紛争解決を導いている方がおられます。私も精進しなければなりません。