自粛生活の中で書いた医療的小文
新型コロナウイルス「自粛」生活を強いられたときに書いた小文(3本)。
a トゥキディネスは「戦史」8巻でペロポネソス戦争の記録をした。戦争中にアテネを襲った疫病につき彼はこう書いた「この病気に2度かかった者は1人もいなかった。かかっても2度目は決して致死的ではなかった」。2500年前に人類は免疫を経験的に知っていたのだ。免疫現象が科学的に解明されてきたのは最近のこと。免疫システムが引き起こす疾患(自己免疫疾患)の難儀も認識されなければならない。免疫力は「高ければ高いほど良い」というものではないのである。
b 子供の頃、駄菓子屋さんで景品籤付きの菓子を買うのが好きだった。あるとき素敵な景品が掲げられていた菓子があった。ある日残り籤は残り3本になっていた。3本全部買えば絶対あの景品が当たると信じ、小遣い銭をはたいて3本買った。全部スカだった。信じられない気持ちでおばちゃんに「あの景品の当り籤はないと?」と聞いた。「あれは飾り物」と言われた。大人は汚いと思った。景表法違反で訴えてやる(笑)。しかし、以後私は詐欺被害に遭っていない。後から考えれば、おばちゃんから免疫療法(ワクチン)を受けていたのだ。
c 三崎亜紀「となり町戦争」の評論。ある日、突然となり町との戦争が始まる。しかし戦闘行為が行われる訳でもなく表面的には普通の日々が続く。広報には小さく戦死者数が書かれ、その数が日増しに増えていく。語り手に「偵察員」の辞令が来る。退屈な書類手続きに埋もれた「地域振興策」としての戦争。戦争には公共事業の色彩が伴う。著者は戦争を「日常的な地方行政」の1つとして描く。著者の久留米市役所勤務の経歴が大きい。それは「戦争」に例えられることもあるウイルス対策に不思議な既視感を与えるものとなっている。