5者のコラム 「学者」Vol.43

繊細な精神と定型的判断

中島義道氏は「非社交的社交性」(西日本新聞)でこう述べます。

パスカルは若いころ数学や物理学に没頭し数々の業績を上げたが、自然研究に従事する人の少ないことを知って驚いた。しかし、後年人間について研究し始めたところ、その領域を研究する人が遙かに少ないことを知って嘆いた、という。こうした豊かな経験に基づいて彼は自然研究に必要な「幾何学的精神」と人間を研究する際に要求される「繊細な精神」を区別している。このうち「幾何学的精神」は容易に想像されるように、厳密に数学的・自然科学的方法(観察・判断・推理)に基づいて理論を形成する精神である。(略)「繊細な精神」は人間の割り切れなさをどこまでも追求する精神であり、それぞれの人間の「うち」に発光する「個」をその複雑な襞に至るまで正確に理解しようとする精神である。

法律業務は世間で思われているよりも遙かに「幾何学的精神」を必要とします。数学的・自然科学的方法にのっとり原理原則から論理的に結論を導き出す精神が必要です。法律家に意外と理系出身者が多いのも法律実務のかかる特性が合致しているからです。しかし、法律実務には論理だけで割り切れないことが数多く生じます。「繊細な精神」を身につける努力は弁護士が一生をかけて継続しなければならないものです。中島氏はこうも述べます。

なんと煩雑に人は「個」をよく見ないで定型的判断をしてしまうことだろう。「彼は信用がおけない」とか「彼女は虚栄心が強い」と決めつけ立派な紳士が痴漢容疑で捕まると「人は見かけによらない」と呟いてしまい、受験に失敗した若者には「これは君にとっていい修行だよ」という安易な慰めの言葉を吐いてしまい、挙げ句の果てに「政治家は全部信用できない」とか「正直者がバカを見る世の中だ!」と怒って片付けてしまう。

個を抹消した定型的判断は法律業務に不可欠ですが定型的判断にとどまっていては法律家としての成長がありません。当事者の「心の襞」を理解する努力を怠ってはなりませんね。

役者

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