第三者としての冷静な目線
弁護士が依頼者と常に同じ目線でいるのならば、存在意義がありません。例えば顧問企業に対して顧客から「おたくの商品の欠陥のせいでケガをした」という苦情が寄せられたとします。かような場合、担当者によっては顧客にひたすら頭を下げて直ぐに被害弁償の話を進めようとする人がいるかもしれません。逆に顧客をクレーマー(恐喝)と決めつけて直ぐに警察に届けることを考える人がいるかもしれません。このような時こそ弁護士は公正な第三者としての視線を維持する必要があります。もし商品に欠陥があり、そのせいでケガをしたというのが事実ならば、企業はこれにより生じた損害を賠償しなければなりません。逆に、それが単なる恐喝的行動の手段であり事実にもとづかないものであるならば、企業はかかるクレーマーに厳正に対処しなければなりません。
ある苦情が正当な理由に基づくものであるか否かを一律に決めることは出来ません。正解は「それが事実にもとづくものであるか否か」を早急に見極めることです。事実の把握をする前にレッテルを貼ってはいけません。これが法律家としての基本です。かような場合、私は担当者に対して申し出を基礎づける客観証拠をお出しいただくことを求めるよう指示します。担当者に交渉の経緯や状況を客観的な記録に残すようにアドバイスし、当方に問題がある可能性が伺われれば当該部門に対し問題の所在を明らかにするよう求めます。これらはリスクを最小限に食い止めるために不可欠です。弁護士は当事者の利益や感情を素直に代弁する役割を演じなければならない場面があります。が、意識的に公正な第三者の役割を演じなければならない場面もあります。場面や状況に応じた演技の選択こそ役者としての弁護士の真骨頂なのだと私には感じられます。