神様か御先祖様の使者
私は司試3回目のときに択一試験に落ちました。最初から2回連続パスしたことで択一をなめてしまい直前まで論文試験に集中しすぎたのです。1年がかりの勝負が6月で終わってしまい放心状態になりました。同じく択一に落ちた友人と「奥の細道」をしました。途中で別れて1人旅です。
最後の訪問地が会津若松。鶴ヶ城の見学を終え白虎隊で著名な飯盛山に向かおうとバスを待ちますが、なかなかバスが来ません。そこへタクシーが来たので止めました。後ろに並んでいた女学生が急いだ様子で「一緒に乗せて貰って良いですか?」飯盛山近くの大学らしいのです。私は「どうぞ」と言って同乗しました。以下は車中での女学生との会話です。
「東京からですか?」「そうです。受験に失敗して傷心旅行なんです。」「挑戦できるだけ羨ましいです。私は夢があって東京の大学に行きたかったんですけど親に逆らうことができなくて地元の大学にしか行けませんでした。受験頑張って下さいね。」
大学前で女学生はタクシーを降りました。僅か10分位の会話仲間でしたが、20年以上経った今でも強く記憶に残っています。この話をFB上に書いたところ次の素敵なコメントがありました。「きっと、その女学生は挑戦できる幸福を伝えるための神様か御先祖様の使者じゃないですかね。」言われるとおり、女学生の言葉によって挑戦できる幸福を認識した私は気力を回復し、翌年に向けた勉強を再開することが出来たのです。ホント、その女学生は<挑戦できる幸福>を私に認識させるための(おそらくは神様か御先祖様からの)「使者」だったのでしょうね。
弁護士になって以降私は相談者の人生を変え得ることを話す場面に日々直面しています。相談者の良き「使者」になれるように気を引き締めて職務にあたらなければなりません。