社会生活への適応不安
尊敬する精神科医・富田伸先生(久留米市大善寺町)は著書「精神科医というビョーキ」(西日本新聞社)の中で以下のように述べておられます。(46頁)
少なからずの精神科医は自らの抱えている精神的問題(あえてそれをビョーキと呼ぼう)を解決すべくこの門をたたいているようにみえる。そのような精神科医は、患者さんの治療に携わることによって自らのビョーキが少しずつ治っていく。だからもし、皆さんが僕たち精神科医のもとを訪れることがあるとしたら「私は、この医者のビョーキを治すことに少しだけ寄与しているんだわ」と思っていただいてもよいのかもしれない。
私は上記指摘を深い共感をもって読みました。私は昔「自分には社会生活への適応能力が無い」と感じ、周りの友人達が各自の道を逞しく歩んでいくのを呆然と眺めていました。バブル真っ盛りの時期であり、周囲には「役に立つもの」を追求するダブルスクール族が氾濫していました。哲学という「役に立たないもの」に魅了された私に将来の見通しなど全く立っていませんでした。ところが、ひょんなことから私は司法試験を受けることになり、なんとか5度目の挑戦で合格させてもらいました。ただ、司法修習生になっても自分の社会適応能力に対する不安は消えず、訳がわからないまま実務を始めることになりました。実務の中で私はワガママな人・迷惑ばかりかける人・どうしようもないと社会的には評価されうる様々な人につきあいました。業務的には苦労させられましたが、これらの人々は私の「社会生活への適応能力」を磨くにあたって最高の師匠となりました。私も患者さん(依頼者)の治療に携わることによって自分のビョーキ(社会生活への適応能力欠如)が治っていくのを実感したのです。このままビョーキが完治してくれればなあという思いは当然あります。が心のどこかに「完治してしまったら自分というものが無くなってしまうのではなかろうか?」という別のビョーキが芽生えそうな気がしている今日この頃なのです。