田舎人的皮膚感覚と都会人的知識論理
私は福岡県南の田舎町の出身です。職人の息子です。生育環境により身体に染みついた感覚は生涯消すことが出来ないものです。他方、私は東京で学生時を過ごし学者になることを夢見たこともある人間です。それなりに長い時間を掛けて蓄積した学的知識と20年以上に及ぶ職業的訓練により身に付けた論理の作法は私のアタマを支配しており、これもまた生涯消すことが出来ないものです。
この田舎人的身体感覚と都会人的知識・論理がたまに衝突を起こします。大学1年生のとき、フランス語を習ったのが海老坂武教授です。サルトル研究者として名高かった他「人類の知的遺産78フランツ・ファノン」(講談社)の著者でもありました。この本で紹介された「黒い皮膚・白い仮面」という論文には<黒人社会に於ける知識人の苦悩>が見事に表現されており当時の私に深い感銘を与えました。「黒い」という身体的特徴(皮膚)と「白い」という白人アタマの知識(仮面)の分裂が黒人知識人にいかなるアイデンティティーの歪みを与えるか?実存を抉り出すようなファノンの鋭い分析に私は自分の足下が危うくなる感覚を持ったことを記憶しています。
「皮膚」に染みついた感覚は私を規定しています。悲しいことではあるけれど、50歳をはるかに超した人間が皮膚感覚を変更することは不可能です。私の皮膚感覚は田舎的なものであり、自分の知識論理からは軽蔑すべきものと感じられることがあります。他方、蓄積された知識論理で形成された私の「仮面」は皮膚感覚からは嫌悪されます。冷徹な仮面性は田舎の純朴な人々から毛嫌いされるものだからです。私は純朴な田舎人として生きることが出来ないし都会的な知識人として生きることも出来ない。生き延びてゆくために私は「田舎の身体(皮膚)・都会のアタマ(仮面)」を分裂させたまま上を向いて(涙がこぼれないように)歩いてゆく他はないのでしょう。