5者のコラム 「易者」Vol.37

汚い場所の美しいモノ

「トイレの神様」は植村花菜の通算5枚目アルバム『わたしのかけらたち』(2010年3月10日発売)に収録されている曲です。9分52秒ですが、長さを全く感じさせません。♪トイレにはそれはそれはキレイな女神様がいるんやで。 だから毎日キレイにしたら、女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで。♪この歌詞に濱口國雄さんの「便所掃除」という詩を重ね合わせて聞く人は少なくないと思われます(ネットで簡単に読めます)。「ババ糞」「便壺」「ガス弾」「クレゾール液」などの言葉をちりばめた後「便所を美しくする娘は美しい子供をうむといった母を思い出します。僕は男です。美しい妻に会えるかも知れません。」という印象的な結び方をする素敵な作品です。
 私は更生管財人代理の仕事をしているときに東京で鍵山秀三郎さんとお逢いする機会を得ました。鍵山さんは名経営者(株式会社イエローハット創業者)であるとともに、便所掃除の会を先導した方として著名です。私がお逢いできたのは約10分間ほどですが、僅かな時間だけでも深い精神性を感じさせる素晴らしい人格者でした。既に相談役に退かれて会社の経営は社長さんに任せておられましたが、社長さんは「相談役は厳しい方なので私どもは決して気を緩めることが出来ません」と苦笑いをしておられたのが印象的でした。かつて日本には「最も汚いところにこそ最も美しいものが存在する」という逆説的感性が広く染み渡っていました。泥水の中に咲く蓮の花に極楽を感じていたのもその一例です。宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」でも、最も汚いと思われたオサクレ様が実は高貴な河の神様であったことが示されています。かつての日本には美醜を、直線的にではなく、円環的にとらえる、とても繊細な感性が存在していたのです。日本人の感性の劣化が議論されるようになって久しいものがあります。日本の古老が持っていた美しい感性を語り継ぎ、歌い継いで、次の世代に伝わるようにするのが、中間に位置する我々世代の人間の責任なのかもしれません。 

学者

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