欲望実現のルール
江戸時代の遊郭は単なる性欲発散の場所ではありません。遊郭には厳格なルールがあり遊びを行うためには、それなりの文化的素養と出費を必要としました(中野栄三「遊女の生活」雄山閣)。遊郭とは高度な知的エンターテイメントの場であり、浅草や吉原の界隈は江戸の文化発信地として庶民の夢とあこがれの対象であり続けたのです。幕府はこれを「悪所」として庶民から遠ざけますがかかる施策は幕府への反感を募らせるだけでした。悪所は反権力の混沌だったのです(沖浦和光「悪所の民族誌」文春新書)。歌舞伎の「助六」があれほど江戸庶民の喝采をあびたのは江戸幕府よりも遙かに昔から存在する浅草の民衆としての誇りと吉原を弾圧しようとする武士階級への反感を、助六という人物像が一身に体現していたからなのです。遊郭が客に対して一定のルールを強制したのは欲望の発散には手順というものがあることそしてかかる手順の中にこそ人間が守るべき文化が存在するものであることを示すためではなかったかと考えられます。「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉で名高い「梁塵秘抄」は後白河法皇が編纂しました(大和岩男「遊女と天皇」白水社)。遊郭には「神遊びとしての性行為」という性質が色濃く刻まれています。遊郭は単なる欲望発散の場所であった「岡場所」とは似て非なる存在なのです。法律事務所を訪れる相談者の中には欲望の固まりのような方がいます。そのような強欲の相談者に対して「欲望の満たし方には一定のルールがある」ことを権威を以て示すのが弁護士の重要な役割です。そのような説示をせずに単に強欲な相談者の言うがまま欲望を社会に発散させる者がいるとすれば、そのような者は「事件屋」であって弁護士ではありません。法律事務所は「岡場所」に成り下がってはいけない。自戒を込めて断言します。