5者のコラム 「芸者」Vol.66
欲望は他人の欲望である
弁護士は他人の欲望と対峙し・満足させ・その対価として金銭を得るのが商売です。ゆえに弁護士は「欲望とは何か?」問い続けることが求められています。この問いに対しジャック・ラカンが鋭い思索を示しています。斉藤環「生き延びるためのラカン」(ちくま文庫)から引用しましょう。
ラカンの言った言葉でいちばんよく引用されるのが「欲望は他人の欲望である」というものだろう。ラカンは欲望が僕たちの内面にあらかじめ備わっているわけじゃなく常に他人から与えられるものだということを強調したんだ。これにはいろんな言い回しがあって、ほかに「欲望は、それを他人に認められることで初めて意味を持つ」というものもある。『ほしいものが、ほしいわ。』糸井重里によるこの名コピーは欲望の本質をとてもよく表している。
人の欲望は重層的な構造をもっています。欲望というと金銭的な欲望や性的な欲望など単純に考える人も少なくないのですが、人間という動物はそれほど単純明快な存在ではあり得ません。独りになりたい欲望・他人から良く思われたい欲望・早く紛争を終わりたい欲望など、欲望はその場その場で、姿・形・色・固さ・重みを変えます。欲望が、他者との関係性において生成・発展・消滅するものである以上、弁護士は(時の経過により変化する)「人と人との関係性」を継続的に考察していくことが不可欠です。かつて井上陽水は欲望を「限りないもの・流れゆくもの」と描写しました。弁護士が欲望を何か固定的な定型的なものと考えていると、直ぐに欲望はこれを抜け出て別の欲望へと形を変えてしまい、見失われてしまうように私は感じます。