5者のコラム 「易者」Vol.107

条理を説くより憎しみと恐怖をあおるほうが感嘆

村上春樹氏の在日韓国人に対するメッセージ(「村上さんのところ」)。
 

いちばんの問題は愛よりは憎悪の方が・理性よりは怒りの方が簡便に言語化できることです。ポジティブなことよりは、ネガティブなことの方が、人の心に直接的に訴えかけやすいことです。「あんなやつはカスだ・アホだ・無価値だ・非国民だ」と罵倒するほうが「あの人はとても立派な人です」と説明するよりは多くの場合インスタントな説得力を持ちます。条理を説くよりは憎しみや恐怖をあおる方が人々の耳目を引きます。しかしそういうものを「しょうがない」として放置しておくと、それが根を下ろして知らないうちに大きく育っていきかねません。例えばナチの反ユダヤ・キャンペーンを「あんなのは口で言ってるだけで本気じゃないだろう」と思って見過ごしていた人々が後日大きな悲劇に見舞われることになりました。何よりも怖いのは、社会が品位を失っていって、それが既成事実として人々に受け入れられていくことです。何か手が打たれるべきだと思います。

法律業務においても、愛よりは憎悪の方が・理性よりは感情の方が、簡便に言語化できます。ネガティブなことの方が依頼者の心に直接的に訴えかけやすいのです。「相手方はカスだ・アホだ・無価値だ」と罵倒するほうが「相手方にも尊重されるべき理念や言い分がある」と説明するよりは多くの場合にインスタントな説得力を持ちます。条理を説くより憎しみや恐怖をあおるほうが簡単です。が、そういうものを「しょうがない」として放置しておくとそれが根を下ろして知らないうちに大きく育っていきかねません。当事者間の暴力に発展することもあり得ます。事後の和解協議を進めるときの障害事由になることだって考えられます。司法改革路線の延長線上において弁護士が品位を失い、既成事実として世間に受け入れられていくと、健全な司法は崩壊するでしょうね(涙)。