数学言語の説明に法律を援用する
新井紀子「数学は言葉」(東京図書)に以下の記述。
数学語には話し言葉はありません。書き言葉専用の言語です。そしてこの言語は現在世界中で科学の共通言語として使われています。日本の子供が突然海外の学校に転校したときにいちばんホッとするのが数学の時間と言われます。それは数学の時間に使われる書き言葉だけは理解できしかも、そこで使われる理屈(論理)も世界共通で理解できるからなのです。(略)ところが困ったことに数学語は数学や科学だけで使われている言葉ではないのです。論理的と呼ばれているありとあらゆる分野で、数学語が共通語として使われているのです。法律と数学とでは語彙が異なるので見かけはずいぶん違いますが、その枠組みはたいへん似ています。たとえば定理を判決に、証明を判決理由に読み替えると、裁判の判決文は数学の定理証明と非常によく似た形式であることに気付くでしょう。(はじめに)
「法律言語の説明に数学を援用する法律家」は結構多いのですが「数学言語の説明に法律を援用する数学者」は少ない。何故ならば数学言語に比べて法律言語は極めて曖昧な部分を含み、用語もそれほど厳密な定義を施されているものではないので、数学者にとり法律は援用するに値する「論理性と厳密性」を持たないと感じられるだろうからです。にもかかわらず新井さんが法律を援用するのにはワケがあります。新井さんは一橋大法学部を出て数学の博士号をとられた経歴を有する異色の数学者です。実は、私が大学1年生のときに入った前期ゼミ(計量経済学)において私は新井さんとゼミ仲間でした。計量経済学は数学的手法を駆使して経済現象を分析する分野なので数学が得意な新井さんは興味を持たれていたのでしょう。それにしても、そのときのゼミ仲間と別の角度で「数学と法律の似ている点」を論じることになろうとは!人生は不思議と言わなければなりません。