5者のコラム 「役者」Vol.101

才能は要らない・リスクを負う勇気が要る

中園健司さんは「脚本家」(西日本新聞社)でこう述べておられます。 

テレビドラマなどを観て「あれくらいなら自分だって」と思われる方も多いかと思いますし私もそう思ったことがあります。実際にプロとして仕事をして初めて「あれくらい」を書くのにも大変な苦労を要することが判りましたが。しかし普通のOLや公務員から転身してあるいはフリーターから脚本家になって大活躍している人もいますし「その気」にさえなれば資格試験がある訳でもないし、特別な才能など要らないし、誰でも脚本家になれるというのが偽らざる実感です。ただ大きなリスクを背負う勇気もしくは「迂闊さ」が必要かもしれません。

大学4年生の終り頃、司法試験を受けようと考え始めた際に、それがどんな困難を秘めた試験であるのか私は全く考えていませんでした。哲学社会学の勉強に行き詰まり、袋小路に入り込んだ自分にとりバカ友だった友人が2回で合格した司法試験に「畏れ」は感じられませんでした。「法学部のお前が2回で受かるんだったら、わしは3回くらいで受かるんじゃね?」程度の軽いノリで受験を始めたのです。何とも「迂闊さ」に満ちたスタートでありました。4回目の受験でも失敗したとき、私は「あまりにも無謀な決断」をした過去の自分を恨めしく思ったものです。
 弁護士業務に「特別な才能」など要らないと私も思います。OLや公務員から転身して、あるいはフリーターから弁護士になって、大活躍している人が大勢います。司法改革の嵐の後は「その気」にさえなれば「誰でも弁護士になれる」というのが実感です。「あれくらいなら自分だって」と思われる方も多いと思います。が、実際に「あれくらい」の仕事をするにも<大変な苦労を要する>ことは後で判ります。弁護士がプロとして仕事を継続していく環境は厳しくなっています。今弁護士を目指すのは「大きなリスクを背負う勇気」もしくは「迂闊さ」が必要かもしれません。

学者

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