成長しなさい・成長しません
ある学校の国語先生が次のように述べています。
多くの教員が個々様々なやり方で送り続けているメッセージを抽象すると、それは「成長しなさい」というものになるでしょう。内田樹先生の語彙と論理を借りるならこの「成長しなさい」というものが教員が生徒に送る祝福の言葉です。そして「成長しません」は生徒から教員に返す呪いの言葉になる。(略)「成長しません」という呪いを聞くと、少なくとも私は傷つき絶句して逃げ出したくなります。教員を傷つけたかったら様々な方法でこのメッセージを送れば良い。但し生徒はその呪いの言葉の力を侮ってはいけない。呪いは絶対に自分に跳ね返ってくるからです。人を呪わば穴2つですね。生徒は誰かに「成長しません」と言っている間は絶対に成長しません。口でだけ呪いの言葉を発しながら身体は懸命に刻苦勉励しているなどという引き裂かれた状態に耐えられるように人間の生き身は出来ていないということです。生徒には自分のその言葉がその行為が即座に自分に跳ね返ってくる呪いであるところの「成長しません」というメッセージを発しているものではないのか常に考えて欲しいと思っているのです。結論は1つ。生徒に「成長しなさい」のメッセージを送り続けるのが教員の仕事。それに「NO」を突きつけられた時には、そうですね、教員は退場するしかないのかもしれません。
「幸福になって下さい」というメッセージこそ弁護士が依頼者に送る祝福の言葉。そして「幸福になれません」という呟きが弁護士に返す呪いの言葉になります。もし「先生と一緒にいると私は幸福になれません」という呪いの言葉を投げかけられたら私は傷つき・絶句して・逃げ出したくなります。「幸福になって下さい」というメッセージを送るのが弁護士の仕事です。それに「NO」を突きつけられた時には、そうですね、弁護士は退場するしかないのかもしれません(涙)。