情報リテラシーの確立
内田樹先生がブログでこのように記述しています。
私たちは一般的傾向として自分が知っている情報の価値を過大評価し自分が知らない情報の価値を過小評価する。「私が知っていること」は「誰もが当然知らなければならないこと」であり「私が知らないこと」は「知るに値しないこと」である。そういうふうに考える人間がいれば(アカデミズムの世界にもけっこうたくさんいるが)その人の情報リテラシーは低いと判断してよい。情報リテラシーが高いというのは自分がどういう情報に優先的な関心を向け、どういう情報から組織的に目を逸らしているのかをとりあえず意識化できる知性のことである。私たちは常にある種の情報を選好し、ある種の情報を忌避する。そこには個人的な基準がある。基準となっているのは私たちが1人1人選び取っている「世界についての物語」である。そのストーリーに整合する情報は「よい情報」であり、そのストーリーになじまない情報は「悪い情報」である。私たちは客観的事実よりも主観的願望を優先させる。「今・ここ・私」という直接性はこれら無数の「他我」たちとの協働作業抜きには存立し得ない。それゆえ「主観性とはそのつど既に間主観性である」と現象学は教えるのである。
弁護士が情報リテラシーを確立するためには無数の他の弁護士たちとの協働作業を行うことが不可欠です。弁護士も自分が知っている情報の価値を過大評価し、自分が知らない情報の価値を過小評価する傾向があるからです。弁護士が「全部のことについて全部を知っている」ということは不可能です(医者6)。しかしながら「私が知らないこと」は「知るに値しないこと」ではなく「当然知らなければならないこと」であったかもしれません。謙虚な意識を持ち「学び続ける姿勢」を維持すること「他の弁護士との協働作業」を続けることが必要です。