従来とは別の価値観を積極的に評価する
ポール・ラファルグ「怠ける権利」が1880年に社会主義機関紙「レガリテ」に発表されたとき先進的労働者に爆発的人気を呼んだそうです(平凡社ライブラリー205頁)。ラファルグはカール・マルクスの娘ラウラの夫。マルクスはこの娘婿の扱いに困っていたようで良く評価していません。マルクスは労働を「価値」としてとらえ時間による計測が可能なものと考えました(「資本論第1巻」大月書店)。マルクスも「労働の神聖化」に手を貸し批判対象である資本家と同じ穴に入っていたのかもしれません。ラファルグは自由時間を「労働義務の不履行」ではなく「怠ける権利の行使」と考えます。しかしながら、このような発想転換の意義は彼が生きていた時代には他の知識人に全く理解されませんでした。1968年「5月革命」においてラファルグは絶賛され、自由を模索する現代思想のヒーローとして読み継がれています。
近時、従来の価値観に対抗する別の価値観を積極的に評価する動きが見受けられます。鈍感力(@渡辺惇一)老人力(@赤瀬川源平)孤独力(@斎藤茂太)不安力(@五木寛之)などです。例えば、敏感(繊細)すぎて生きにくい人が大勢います。繊細さは従来積極的に評価されてきたことなのですが、これをネガティブに「鈍感力が足りない」と表現するのです。弁護士は常に複眼的思考をしなければなりません。世間の価値観と別の価値尺度を想定し別の角度からモノを見ることを求められる場面が少なくないのです。自由という概念には世間と敵対する要素が含まれています。世間的価値観から否定される行為を積極的に行う権利を想定することで、それまで見えていなかったものが見えてくるようになります。マルクスには「労働する権利」が見えていても「怠ける権利」は見えていませんでした。彼の思想が現代社会に受け入れられない理由はここにあると私は考えます。