弁護士は自由な商売か?
石橋文化会館で劇団ショーマンシップ「好色一代女」を観ました。
公家の娘として出生した女性が、ならぬ恋に落ち、それが発覚して公家社会から追放されます。行く当てのない彼女は島原遊郭に行き太夫となります。ここも追い出されて雨に打たれているところを扇屋の職人に助けられます。その職人と結婚し子供を授かって幸せに暮らしているのも束の間、夫が急死し、子どもは奪いとられ、再び身を落とします。数年後、よたか(私娼)となった彼女は絶望しある寺の境内で首をつって死のうとしますが、寺の若い僧に助けられ、命をとりとめます。その若い僧が「自分は扇屋の息子だが母と生き別れた」と語ることから、人生の希望を見いだした彼女は尼になり、草庵で心豊かな晩年を過ごします。
この演劇に関していくつかの疑問点を考えてみましょう。そもそも何故、彼女は公家社会を追放されたのでしょうか?公家社会には強い「けがれ」意識があり、身分外の者と恋愛関係に陥った女性は汚れた存在として認識されたのです(大和岩雄「遊女と天皇」白水社を参照)。では何故、彼女は太夫になり得たのでしょうか? 太夫は遊郭の最高位で、美人であるだけでは足りず品格や教養も求められました。遊郭には神遊びとしての性行為たる性格があるため、公家出身の女性が抜擢されたのです。では何故、彼女は遊郭を追放されたのでしょうか?客は欲望を抱いてやってくるのですから、客をあしらう手練手管だけで地位を保つことは出来ません。公家出身の彼女に太夫が務まるわけがありません。今も昔も「自由」とは簡単に手に入るものではないようです。弁護士は自由業ですが、現実の弁護士業はそれほど自由な商売ではありません。私もたまに「草庵」に行きたくなります。