帰納法的論法と経験則
三段論法はアリストテレスが定式化したもので「AはBである。CはAである。ゆえにCはBである。」という論理形式を指します。最初の文を大前提、次の文を小前提、最後の文を結論といいます。ジョン・スチュワート・ミルは「三段論法の結論で展開されるものは大前提において既に知られている認識内容の要素を分析しているに過ぎないのだから、演繹的推理が新しい知識を発見するものではない」と主張します。前提における普遍的命題の正しさは最初に措定されてしまっており、その命題が何故もたらされたのかこそ問題だというのです。演繹法は形式的推理に過ぎず実質的推理を含むものではありません。このためミルは大前提となる命題を確立する原理、すなわち特殊から普遍に進む帰納法こそ正しい知識発見の方法だと提唱するようになったのです(藤野登「論理学・伝統的形式論理学」内田老鶴圓95頁)。法律家には三段論法を金科玉条とする人が少なくないのですが、ある程度実務経験を積んだ者なら三段論法だけでは準備書面や判決文が書けないことを直ぐに納得するでしょう。意識するにせよ・しないにせよ、実務家が難しい事件で駆使している論理は演繹法ではなく帰納法です。何故ならば実践的決断には実質的推理が求められているからです。法律家が使う帰納的論法はそのままの用語法では用いられません。経験則という言葉で言明されます。経験則は<人間はこのような場面でこのように行動するのが通常だ>という命題です。レトリック用語で翻訳すれば通常性のトポスというものです。*が通常であるという言い方が他人を説得する材料として有効であることを意味します。帰納法原理には特殊から一般への論理的飛躍が存在しますから「何が通常であるか」について争いの余地が残ります。下級審裁判所が認識した経験則が上級審で否定されることもあります。法律家は「何が経験則か」に意識的でなければならないのです。