5者のコラム 「医者」Vol.152

師匠の模倣と超越

熊倉伸宏「面接法2」(新興医学出版社)の記述。

模倣とは、その時のあなたの関心があった地点を示す仮説的な臨床の座標軸、否、原点でしかない。実際には模倣した技法はケースと出会うことで変化する。つまり臨床家はケースと出会うことで師の模倣を、師それ自体を、何らかの意味で超越する。師からケースへと、他者から他者へと超越する。その超越は望むか否かにかかわらずケースとの出会いの数だけ自然に起きてしまう。超越の有無が問題なのではない。問題はその質にある。技法と師に関して専門家として適正な懐疑が存在したか、それが臨床の質を決定する。

弁護士は法曹実務家としての出発点を「師匠の模倣」から始めます。受験勉強や司法研修所で学んだ理論はあくまで「理論」であり実務の現場で「実践」するには師匠の薫陶を受ける必要があるのです。師匠なしに始められる程、この仕事は甘くありません。多くの場合、師匠の模倣から実務は開始されます。それが自分の仮説的な「臨床の座標軸」となります。しかし、それはあくまで出発点に過ぎません。目の前に現れる依頼者(事件)を前にして、具体的にいかなる言葉を発し・どのように相手方と接していくのか?それは個別具体的な<ケース>にあたって経験的に学んでいくしかありません。たくさんの生のケースに接し、実際の妥当な結論を求めて悪戦苦闘していく中で、自分の「臨床の座標軸」が変化していきます。個別具体的な「当該事件との対応の必要性」が師匠から受け継いだ「仮説」を超越します。というより絶対に超越しなければならない。何故ならば師匠が形成した仮説(前提したケース)と自分の課題(目の前のケース)は異なるものだからです。ケースの違いに応じた、専門家としての適切な懐疑が存在するか否かが臨床法律実務の質を決定します。その懐疑は自分自身にも向けられます。「自分自身への懐疑」は臨床法律実務の質を上げるために不可欠です。

5者

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