先の大戦の終了日はいつか?
佐藤卓己教授はこう述べています(「八月一五日の神話」ちくま新書)。
だが広島市民において「終戦」の日はやはり8月6日である。他方で北方領土の住民にとってソビエト軍の攻撃は8月末から始まる。8月15日は「終戦」ではありえない。しかし歯舞群島が完全占領された9月5日を「終戦」と呼べるだろうか。そう考えると沖縄県民にとって「終戦」はいつなのだろうか。「沖縄慰霊の日」は日本守備隊の組織的戦闘が終わった6月23日である。(略)だがアメリカ軍が沖縄作戦の終了を宣言したのは7月2日であり残存した日本軍が公式に降伏文書に調印したのは日本政府の調印より5日遅れた9月7日である。(略)その日(8月15日)を朝鮮半島では「光復節」として祝うことも高校時代に学習した。しかしアメリカのVJデイ(9月2日)と旧ソビエト連邦の対日戦勝記念日や中国の抗日反ファシズム戦勝記念日(9月3日)が異なる日付であることを知ったのは比較的最近である。何より驚いたのは終戦記念日が8月15日と法的に定められたのが1960年生まれの私より3年も遅いという事実を知ったときである。「8・15=終戦記念日」の法的根拠は、戦後18年も経過した1963年5月14日に第二次池田勇人内閣で閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要領」であり正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」は鈴木善幸内閣が1982年4月13日の閣議で決定している。
対米戦争としての第2次大戦終了日はミズーリ号艦上で重光全権が降伏文書に調印した9月2日。ただし8月末から始まったソビエトの攻撃は9月2日以降も継続されていました。よって歯舞群島島民にとり9月2日は大戦終了を意味するものではありません。国際法的には第2次大戦の決着日は1952年4月28日(サンフランシスコ講和条約発効日)だと考えられます。
マスコミが8月15日終戦特集を行うようになったのは1955年から。左右社会党統一と自民党合同により55年体制が構築され『8月15日の神話』が人為的に構築されたのです。