5者のコラム 「芸者」Vol.37

女性的表現方法の意味

信田さよ子「選ばれる男たち・女たちの夢のゆくえ」(講談社現代新書)はこう述べます。

私たちは意識しないまでも多くの価値によって築き上げられた信念体系(スキーマと呼ぶ)を生きる根幹にしているのである。では彼らの信念を成り立たせている価値とはどのようなものだろう。一番にあげられる価値は「客観的であれ」である。裏返せば「主観的になるな」であり、感情的になってはいけないのだ。なぜならば主観的に感情的であることは女性的であることと同議だからだ。感情的な言葉は「女みたい」だから禁止されるのだ。(略)もうひとつの価値は勝つことにある。これを克つと言いかえればいっそうわかりやすい。(略)克己と客観性・これは近代的価値そのものである。80年代に始まった思想界におけるポストモダンの潮流に目をくれることもなく、オヤジたちはしぶとく近代的価値を内面化し続けている。それどころか子供ばかりでなく妻であるおばさんたちにもそれを強要し続けてきた。日常の愚痴を聞いてもらおうとすれば「結論を言え」「論理的に話せ」と言われる。鍋の煮物を焦がしてしまったときには「計画的に手順を遂行していないからだ」「注意が散漫だからだ」と、まるで上司が部下を詰問するように責められる。そこには感情の共有などかけらもなく、妻の日々の不全感や不満は捌け口を失い、澱のように溜まっていく。(75頁)

要件事実の有無だけ探求する姿勢でいるならば「途中経過は良いから結論を言ってください」「聞いているのは貴方の感情ではなく事実です」と受け答えすることになりましょう。弁護士はこの紋切り型の返答を依頼者の感情を考えることなく繰り返してきたのかもしれません。法律家は「事実と評価の峻別」を前提として物事をレトロスペクティブ(回顧的)に見ることを訓練されていますが社会全体からみれば異常な思考方法です。一般人の思考方法はプロスペクティブ(展望的)なものです。事実と評価が混じり合っています。異常な思考方法を普通の人に過度に強いてはいけません。

役者

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