女性のほうが女性に厳しい?
「裁判官は女性なんですね。じゃあ女性の気持ちが判っていただけますね。」依頼者の女性からこう言われると私は返答に窮します。女性だから女性に有利な判断をする訳ではありません。逆に私の印象(あくまで個人的な・主観的な印象)では女性の方が女性に厳しいように感じます。
太宰治「女生徒」に次の記述があります。(岩波文庫「富岳百景・走れメロス」に所収)
けさ電車で隣り合わせた厚化粧のおばさんをも思い出す。ああ、きたない、きたない。女はいやだ。自分が女だけに女の中にある不潔さがよくわかって歯ぎしりするほど、いやだ。金魚をいじったあとの、あのたまらない生臭さが自分のからだいっぱいにしみついているようで、洗っても洗っても落ちないようで、こうして1日1日自分も雌の体臭を発散させるようになっていくのかと思えば、また思い当たることもあるので、いっそこのまま少女のままで死にたくなる。ふと病気になりたいと思う。うんと重い病気になって汗を滝のように流して細くやせたら私もすっきりと清浄になれるかもしれない。(99頁)
性的被害による損害賠償請求事件で被害者訴訟代理人として活動したときのこと。当初の担当裁判官は高齢の男性でした。裁判官は被害者女性に対し同情的でした。ところが裁判官の移動時期になり、若手の女性裁判官に変わりました。担当が女性に変わったことを知った私の依頼者は冒頭の言葉を口にしたのです。しかし実際に女性裁判官の出した判決は被害者側の落ち度を強くたしなめる内容でした。堅い言葉を連ねた判決文ではありますが、その行間から女性裁判官の「ああ、きたない、きたない。女はいやだ。自分が女だけに女の中にある不潔さがよくわかって歯ぎしりするほど、いやだ。」という声が聞こえてきそうでした。こんなことを書くと、私のジェンダーバイアスが激しいと言われそうです。女性の方が女性に厳しいように感じるのは私の漠然とした印象に過ぎません。