5者のコラム 「学者」Vol.92

奨学金と教育ローン

大学受験に失敗したとき予備校(福岡市の水城学園)に通いました。特待生として採用されたので授業料を払う必要がありませんでした。特待生制度には(翌年の合格実績を上げるための予備校の必要経費という側面もありましょうが)経済的理由により進学を諦める生徒が少なくなるようにとの当時の篠崎賢太郎校長の想いがあったと後に伺いました。一橋大学に進学したときにも私は(授業料免除の恩恵を受けただけでなく)北九州の篤志家である木村様が設けられた木村奨学会の給付を受けることが出来ました。これは木村様が親から受け継いだ遺産の運用利益を有意の学生のために奨学金として給付してくださるもので返済不要でした。おそらく木村奨学会から給付を受けた学生の多くが感謝の心を持って学び卒業後は社会的に有意義な仕事をされているものと私は思います。
 昔この国には篤志家と言われる人々がたくさんいました。篤志家の方々は身銭を切って子供(他人の子供)のために教育資金を出していました。根底には「子供は地域の宝であり、教育こそ国の根幹である」ことへの認識がありました。「教育の機会均等」の理念は地方都市にも普通に行き渡っていました。給付を受けた学生は感謝の心を持って学びました。この国には「社会全体で子供を育てパブリックな意識を身につけた子供が社会に恩返しをしてゆく」という親世代と子供世代の信頼感が(かつては)確かに存在していたのです。今の奨学金制度はどうでしょうか?教育ローンに成り下がっていないでしょうか?奨学金を教育ローンと考える方は教育を「将来の収入上昇を狙う個人的行為」と認識しているのでしょう。それがパブリックな意義を持ち「給付を受けた者が感謝の心を持って学び社会的に有意義な仕事をしていく」感覚が無いのでしょう。彼らは奨学金の教育ローン化が将来の教育界(法曹界を含む)にどれだけ深い傷跡を残すことになるのか判らないのでしょうね。

役者

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