場面にふさわしい仮面
私は役者31において「面とペルソナ」に言及しています。プロの役者さんは素顔のままで役を演じることが出来ますが、素人は仮面を付けた方が良く演じることが出来るようです。役柄を素顔のまま演じるためには相当の訓練を必要としますけれども、仮面には最初から呪術性が伴っているため、高度の技術を要することなく観る者に高い演技性を感じさせるからです。
観世寿夫「心より心に伝ふる花」(角川ソフィア文庫)には以下の記述があります。
仮面を意味するギリシャ語は”呪う”という語と語源を一にするそうである。やはり仮面は霊的な力を内在させていたわけである。これが悪霊を退散させるの意となり、ひいては新しい秩序・新しい技・新しい法という意味を有する語ともなる。日本の民俗芸能や年中行事の中にも仮面を使ってのものは御陣乗太鼓・なまはげ・各地の田遊び・神楽など数え上げればきりがない。そして仮面の役は先ず鬼あるいは悪鬼を追い払う霊力を持つ者、神-これもつまりは鬼だったりするが-などであって、この霊力に託し五穀豊穣祈願のような新しい生命をみちびき出す祈りを行うのである。面というものがこうした呪術性をもともと持っていることを人々はいつになっても本当に忘れきってはいないのだ。(94頁)
私は5者34で「弁護士の中にも戦いを商売としているとは思えない柔らかい人格の方が多く見受けられました」と記しました。しかし法律実務には呪術性が伴います。弁護士は職務遂行の過程で対立する当事者の恨みや怒りを浴びますから円満な人格だけでは仕事を遂行できません。温厚な弁護士だって戦いの場面になれば場面にふさわしい仮面を付けます。昔「大魔神」という特撮映画がありましたが、あの怒った後の大魔神のイメージです。弁護士は1日の業務が始まる前に1人静かに無形の面を付けています。仮面なしに素顔のままで戦いの舞台に立つことは出来ないのです。