5者のコラム 「学者」Vol.1

合理化の果てに生じる著しい不合理

近代科学は呪術に満ちた日常生活から不合理性を排除し合理的精神の元に体系化することを目的として構築されてきました。数学を用い世界を合理的に描き出したニュートン物理学が近代科学の模範とされました。この世界観を基礎づけたのがデカルトです。デカルトは心身二元論や解析力学の創始者として、機械論的世界観の創始者として知られます。デカルトは幾何学と代数学の関係を明らかにするため座標を利用する画期的業績をあげました。「方法序説」においては心臓のポンプ機能に対する多くの記述を行っています。近代科学が華々しい成果を上げてきたのは客観的に明らかであり、かかる成果を否定することはおそらく何人にも出来ません。しかし20世紀の学問の流れは上述の方法論が必ずしも万全ではないことを明らかにしてきました。それは「啓蒙の弁証法」(@Tアドルノ・Mホルクハイマー)と言われる事態(合理化の果てに恐ろしく非合理な事態が生じうる逆説)が世界史的に明らかになってきたことに基づきます。科学が最高度に発達したはずの20世紀において最大の虐殺が繰り返されてきてきたこと・合理的世界観が行き渡ったはずの都会でカルト的宗教が止むことなく蔓延していること・最高の生産力の陰で著しい貧困が拡散していることなど「科学と日常生活のギャップ」が明白になってきたのです。法律家は合理性を旗印として日常生活に法を適用していきますが、合理性を崇拝すると思わぬ間違いを犯すことになりかねません。細かく積み上げ大きく誤る愚を犯さないとは限らないのです。当たらずとも遠からずという態度も時には必要。法律家は時々目前の仕事から少し距離を置いて不合理性にまみれた日常生活に立ち返る必要があります。庶民は合理性の観点だけで生活しているわけではないからです。