5者のコラム 「役者」Vol.5

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」という言葉は世阿弥が「花鏡」で述べているものです。土屋恵一郎氏は次の読み方を提示します。(「処世術は世阿弥に学べ」岩波アクテイブ新書)。

世阿弥にとっての「初心」とは新しい事態に対応するときの方法であり、試練を乗り越えていく戦略のことである。世阿弥は「初心」には3つあると言っている。若い時の初心。人生時々の初心。老後になった時の初心。「初心忘るべからず」とは、それが何であれ、いまだ経験したことのない事態に対して自分の未熟さを知りながら、その新しい事態に挑戦していく心の構えであり姿に他ならない。その姿を忘れるなと言っているのだ。それを忘れなければ中年になっても老年になっても新しい試練に向かっていくことが出来る。

法律家にとって「初心忘るべからず」という言葉は重い意味を有しています。弁護士であれ検察官であれ裁判官であれ、実務で初めて担当した事件では自分の責任の重さに震えていたものと思います。人を拘束し、人を裁き、人の生命身体や財産を左右する。おそらく全ての法律家はその出発点で厳粛な「初心」を感じるはずです。が5年10年と仕事を続けるうちに「慣れ」が生じ、ルーティンワークの中で、その事件がその人にとって人生の一大事であることへの厳粛な思いを忘れてしまうかもしれません。刑事法に則して言えば慣れ過ぎた法律家は「初心」たる「無罪推定原則」の意味を忘れてしまうのかもしれませんし、民事法に則して言えば慣れ過ぎた法律家は「パターン認識」に凝り固まってしまい、その事案特有の問題点を見逃すのかもしれません。良い役者さんはロングラン公演でも「その観客にとっては初めての舞台だ」と肝に銘じ新鮮な気持ちで舞台に立つという話を聞いたことがあります。「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉をかみしめます。

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