出来る出来ない・資産と負債・受け取る与える
「行って帰る」物語が魅力的なのは帰ってきた人に成長が認められるときです。行きと帰りとでは見える風景が違います。折り返し地点から振り返る視線を感じたときに社会はその人に成長したとの賛辞を与えます。これを次の3つの視点で考えてみることにしましょう。
まず行き道では自分に<出来ない>ことが強く意識されます。<出来ない>ことから生じるコンプレックスをエネルギーにして<出来る>よう努力することが青年期の特権です(自分が出来ることに安住していたら成長は望めません)。しかし帰り道は違います。<出来る>ことを大事にすることが求められます。「等身大の自分を認める・許せる気持ちが生まれてくる」と言えば良いでしょうか。それが他者に対する寛容性に繋がってくるのです。
次に行き道では<資産>にばかり目が行きます。世の中は不条理です。金銭・家柄・容姿等生まれつき与えられている資産には著しい差があります。これが庶民のルサンチマン(ねたみ)を呼び起こします。しかし帰り道は違います。<負債>に目が行くようになります。資産が大きい人は背負っている負債も大きいことが判ってきます。これにより自分が抱えていた<負債>の小ささ(自由さ)の意義が判ってきます。こういった「複眼的な認識」は他の人が置かれている状況に対する客観的想像力を鍛えることによって初めて身に付くものです。
第3に行き道はもっぱら<受け取る>ことが意識されます。若い頃に受け取る謙虚さを持たない者は先人が形成した「型」を身に付けることが出来ず、大成できないのです。これに対して帰り道では<与える>ことが大事になります。特に厄年を過ぎると自分の生命の終わりが意識され次世代へのリレーを認識するようになります。受け取ったことを自分の債務とし、その責めを果たすために与える側に回るという「恩送りの構造」の意義が判ってくるのです。