入れ替わる「私」
福岡伸一先生は「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)でこう述べます。
重窒素アミノ酸を与えると瞬く間にそれを含むタンパク質がネズミのあらゆる組織に現れるということは恐ろしく速い速度で多数のアミノ酸が一から紡ぎ合わされて新たにタンパク質が組み上げられているということである。(略)私たちは自分の表層すなわち皮膚や爪や毛髪が絶えず新生しつつ古いものと置き換わっていることを実感できる。しかし置き換わっているのは何も表層だけではないのである。身体のありとあらゆる部位、それは臓器や組織だけでなく、一見固定的な構造に見える骨や歯ですらも、その内部では絶え間のない分解と合成が繰り返されている。(略)私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかもそれは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えられないと、出て行く分子との収支が合わなくなる。
1年前の自分は現在の自分と全く別の存在です。外から入ってきた諸情報は分子レベルにまで消化され自分を構成する脳情報の1つに組み込まれます。が、おそらくこれと同等の脳情報が分解されて流出しています。考えている「私」など浮動する脳情報のひとつの「淀み」に過ぎない。情報の流出を補うためには、これを上回る情報の仕入れを行わなければ自分(私)を維持することは出来ません。同様に、私が弁護士になった頃に比べ法律は全く変わってしまいました。商法・民事訴訟法・民事執行法・倒産法・刑法・刑事訴訟法といった基本法典が現代化され、民法も近年中に改正される予定と聞きます。古くなった情報を捨て新しくなった情報を絶えず吸収しないと現在の法律状態について行けなくなります。日々これ勉強です。