光の存在としての弁護士会
大学生の頃、ベートーヴェン「第九交響曲」を唱う合唱団に参加しました。私は音楽活動の経験が無くドイツ語も知らなかったので最初は散々。9月から始まった練習ではしばしば惨めな思いをしましたが合唱指揮・清水先生の明るい指導に支えられながら3ヶ月の練習期間を乗り切って12月の本番。計2回小林研一郎指揮・東京交響楽団の演奏に立ち会うことが出来ました。真っ暗闇の中から華やかなスポットライトを浴びて舞台に立ちました。舞台に初めて立った私はそこに宇宙を感じました。時空を超えて暗闇の宇宙に立っている幻想的な感じでした。同時に舞台から観客席がいかによく見えるかも判りました。演奏終了後、感涙に包まれたのは言うまでもありません。
最終講義で刑事弁護教官(伊藤正義先生)は次の話をされました。今でも心に焼き付いています。
弁護士になる諸君。君たちは常に「光」の中にいなさい。社会には闇が広がっている。中心から離れるほど闇が近づく。光とは何か?光とは弁護士会である。光が届く範囲にいる限り、闇に巻き込まれることはない。 だから君たちは常に「光」の中にいなさい。
弁護士会執行部に入ると他者の視線にさらされます。社会全般の視線を浴びます。裁判所や検察庁からも弁護士会の代表としての扱いを受けます。他方、執行部にいると他の会員の動きがよく見えます。「舞台」に立ったような気分になるのです。弁護士大量増員時代を迎え、弁護士会が今後も「光」の存在であり続けることができるのか?私は大いに心配しています。「舞台」が「テラス」に取って代わられることは無いだろうと私は考えていますが、将来において弁護士会から会員1人1人に対して照らされる「光」は減少していくような気がしてなりません。