価値自由論と「7つの社会的罪」
マックス・ウェーバーの「職業としての学問」は社会学部生の必読書ですが、彼が展開する「価値判断からの自由」(存在と当否・学問と政策の区別)は問題が多い。ウェーバーは「学者は自己の主観的評価や個人的世界観を学生に強いてはならない・政治的立場や価値判断から自由であるべし」と戒めたのですが、マルクス主義を意識して為されたこの提言に対しては賛成反対の両者から猛烈な議論がなされました。私は「価値自由論」は大嫌いで、価値観を正面から振りかざす論者のほうが好きでした。「客観性を装う主観」より「主観をぶつけた結果としての客観性」に惹かれました。平板な羅列的教科書より個性あふれる著作のほうが知的好奇心を満足させてくれたのです。
多くの田舎弁護士は悪く言えば何でも屋です。私もサラ金と損保会社以外は特に好き嫌いなくやっているつもりです。ただ私はオルテガやニーチェの影響で弱者特有の妬みの感情に付き合いきれないところがあります。強者が誇る政治的・商業的な成功を最初から嫌悪する気にはなれません。他方で私はルソーやマルクスの影響で強者が傲慢に居座るのも我慢ならないところがあります。強者の成功それ自体を無条件に賛美する気にもなれません。社会的評価は一定の条件の下でのみ価値を有すると私は考えます。かかる条件を離れて「どっちかに決めろ」と言われても困るのです。自分の価値観にフィットするものとして、ガンジーの碑文に刻まれた次の言葉をあげておきます。「7つの社会的罪」と題されています。 ①理念なき政治(Politics withoutPrinciples) 、②労働なき富(Wealth withou tWork)、③良心なき快楽(Pleasure without Conscience) 、④人格なき学識(Knowledge without Character)、⑤ 道徳なき商業(Commerce without Morality)、⑥人間性なき科学(Science without Humanity)、⑦ 献身なき信仰(Worship withou tSacrifice)