他人の迷惑に寛容に生きる
フェイスブック上で次の言葉に出会いました。
日本では「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは「お前は人に迷惑をかけて生きているのだから人のことも許してあげなさい」と教えるそうだ。前者には息苦しさを、後者にはホッとするものを感じる。
他人に全く迷惑をかけていない完璧な人間など、この世の中には存在しません。生きている限り「誰かに迷惑をかけている」。それを意識した上で「だから他人のことも許してあげなさい」と考える方が遙かに心の健康に良い。宮沢賢治「よだかの星」や金子みすず「大漁」といった文学作品を読むと「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えられてきた日本人の生真面目な性格が浮かび上がります。自分が生きていること自体で誰かに迷惑をかけている・かたじけない感覚がにじみ出ています。心の優しい人こそ他人に迷惑をかけるトゲを自分に向けて自分を追い込んでしまう。他人のことなど全くお構いなしに言葉の暴力を振り回す世間人が闊歩する陰で、トゲを自分に向けて自分を追い込んでしまう繊細な人が不条理な事態に見舞われる。日本人の自殺率の高さは子供の頃から刷り込まれた<自己処罰的倫理感覚>に起因するところが多いようです。これまで日本人は「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えられてきました。それが息苦しいものであったために日本人はウチとソトを区別し、迷惑をかけてはいけないウチと迷惑をかけても良いソトを使い分けたのでしょう。しかし、そういった2分法は成立しない。ウチの中でも迷惑をかけざるを得ない場面は多いし、ソトだから迷惑をかけて良いということでもない。ウチ・ソトに関係なく「他人に迷惑をかけている」ことを自覚しつつ「他人の迷惑に寛容に生きる」倫理が重要になっているのでしょう。